現在の塾の原形は約100年前に遡る

江戸時代に既に民間教育機関の祖ともいえる寺子屋が存在していたのは周知の事実です。その頃既に全国に約1万はあったと言われています。その当時の人口に対する割合が何と現在約5万と言われる「塾」の割合とあまり大差ないと聞くと、日本人の教育に対する熱心さは今に始まったことではないと言っていいのかもしれません。さらに、江戸時代後期、明治初期に数多く存在した、吉田松陰の松下村塾や福沢諭吉の蘭学塾(現、慶應義塾)などに代表される教育機関は、どちらかと言えば現在の専門学校あるいは予備校に近いと言われ、現在の「塾」と呼ばれている教育機関とは一線を画するものでした。現在いろいろな形で存在する「塾」ですが、その原形ともいえる形態の民間教育機関は、1912年の島本時習塾と言われています。当時上級校への進学指導は各学校内で実施されていたと言います。そのような中、夏季期間中限定の合宿形式で行われた旧制中学への進学目的で行われた学校がありました。ところが事情で中止となったのを保護者たちが惜しみ、指導していた元教員が学校を離れ民家を使用して行うようになったのが、そもそもの始まりと言われています。旧制中学といえば、現在の小学校と大学を結ぶ中高一貫校に相当するため、敢えて言えば中学進学塾の始まりとも言えるでしょう。

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